「りなのや」の日々

整理収納コンサルタント/遺品整理士Linaのモノ・コト・ココロ

愛用のタロット 〜スミス・ウェイト・センテニアル・タロット

育休中に復帰の相談に行ったら、上司に「タロットを中心とした事業を個人的に展開したい」と言われた。360度といわず4次元くらいのレベルで驚いた。

いざ復帰してみたら、(小さな会社だけど)社長以外の社員が全員タロット持ってるという状況になっていた。この時は前回のことがあるので、そんなに驚かなかった。

そしてもっと驚かなかったことは、自分がタロットを購入したこと。

私はそもそも、中学生くらいの頃にタロットに興味を覚えて大アルカナ一式が付いた本を買ったことがある。その年頃にありがちな、ちょっとオカルトに触れてみたいという衝動で。
今も実家の机に眠っている大アルカナ。
子供だった私は、絵の意味を読み取るということがよくわからなくて、本に書かれている各カードのキーワードや意味を暗記しなきゃいけないのではと解釈し、ものの見事に挫折した。

タロットに描かれたものひとつひとつに意味があり、それを読み取ることでカードを理解できると知った今。本を一冊読んだら、小アルカナまですんなり馴染んでしまった。
宗教画で青いマントを纏っていれば彼女は聖母マリアだと示しているように、謎解きのようにカードを眺め、正解のない絵に沈思するのはなかなか楽しい作業だと気付いたから。

今はまったくオカルトやファンタジーという見方はなく、ただカードを切り、ただカードを選び、そして絵を眺めるだけ。
それは何か期待が込められた予言なんて大それたものじゃなくて、「こんなことやってきたんでしょ」「だからこうなるわけじゃーん」という、自己啓発本に飽きるほど出てくる「原因と結果」の関係をカードが示してるだけ…に落ち着いたのだ。カードに何が出るかというドキドキする期待が一切ない。出たカードを読んで、「こういうことに気をつけようね」とか「じゃあこういういい方向になるように努力するね」と前向きに気持ちが働き、日常がプラスになるようなちょっとしたアドバイスをもらっている感じなのだ。

もはや、「占い」という感覚がゼロ。
禅語の本を適当に開いて言葉を選び、今日はこの禅語に沿って行動するぞ!という感覚に近い。


さて、前置きが長くなりましたが。

私は「人と同じ」というのがあまり得意ではなくて。天邪鬼なんです(苦笑)
それで、知り合いが使っているのとは違うデッキを探したら、ドンピシャだったのがマルセイユ版のとあるデッキ。
さすがに最初にマルセイユ版はないよね〜と思い、勉強と普段使いのために選んだのがスミス・ウェイト・センテニアル・タロット。

  • 手の小さい私でもシャッフルしやすいポケットサイズ。
  • 缶入りで携帯しやすい。
  • オーソドックスなスミス・ウェイト版が白なら、これはセピア調なので色がパキッとしていなくて落ち着ける。

この3点が選んだ理由です。

実際使ってみると、大きすぎず小さすぎず、肩に力をいれずに付き合えるデッキだなと感じてます。

Smith-Waite Tarot in a Tin